2006-01-01から1年間の記事一覧

秋日 わたくしのあの向う 影のように無数の女が過ぎゆき ほの青い匂いを残す さらさらと流るる銀光 去来する淡く光る時間 つと来ては去り つと来ては止む (やわらかな久遠。やわらかな久遠。) 明滅する女。螢。 すすきの穂が火となり 菫青の空をあかるくす…

新しい文学に向けての断章 七  かの「私」/私の知らない私

「私」のうちには、「私」の決して知り得ない「私」がいる。それはただいることがわかるだけであって、何ものであるかわからない。かの「私」は決して同定できず、永遠に同一性として立ち上げることはできない。そしてまた、かの「私」は共同的なものではな…

幻想文学について

真の意味での幻想文学とは、書き手が幻想的なものを書こうという意識がなかった時に生まれる。最初からある種の幻想的な主題の下に書かれたものは、好事家の仕事であって、むしろ除けられるべきものである。徹底して事象を追求した果てに、出現する奇怪な世…

ナショナリズムとジョイス

国家は父性的なものであるが、ナショナルなものとは母性的なものである。それは最後の局面で、対決を許さない。ある種の懐かしさと愛情を湛え、人々をとらえる。精神の底で、否定しがたい何かとして働くのである。それゆえ、その超克は非常に困難になる。 ジ…

北原白秋

詩がうたとして、音が音を呼び、憂愁の意味はなく、しかしある種の美的な確かさをもって続いてゆく。表現が表現だけの願いで、続く言葉を選ぶ。歌われるのは息苦しくふさがった内面ではない。ただ歌が歌われる。身体の動きに似ている。哀歓は音のうちにあか…

島崎藤村

島崎藤村の酷薄な筆致がなければ、日本の私小説が特殊な力を得ることは無かった。それは藤村の冷厳に過ぎるまなざしであって、私小説の理論にはない。 「夜明け前」の終章、発狂して座敷牢で死ぬ父を描く彼の筆致に叙情の痕は微塵も無く、父への追憶など生や…

新しい文学に向けての断章 六 文字の存在

物がそこにあるということから生まれる迫力というのがあって、不意に振り返ると、空間の片隅の暗がりに、かの物が、厳然と動かしがたく、ひとつの形を占めている。目を持たぬ物の呼吸は、また次第に、隔てられているはずの私のからだにも侵食してくる。暗い…

新しい文学に向けての断章五 激情

今日、ほぼすべての激情は、甘い感傷に落ちていく。激しさは抑圧された悲しい顔立ちを背後に宿し、むしろその涙ぐむ顔を見よと叫ぶ。そこにいるのは激しさとおよそかけはなれた小人物である。悲しい小人物であるがゆえに、激情を許せと乞う。そのような激情…

新しい文学に向けての断章四 孤絶

共同体への意志が叫ばれる。それに抗するため連帯が説かれる。一人の時間は、何処にも告げられていない。 如何にあがいても、孤絶して生きることは出来ない。否応なく侵食されて生きる。関係を断とうと願っても、断たれることはない。だからこそ、孤絶したも…

雑記

素朴に、外国文学を読む機会を得ている。 私のものではない言語。日本語もおそらく、私のものではないが。しかしまた、見知らぬ言語でもやはり、書き手が言葉にかけた力は感ずる。そのような力を感じさせること、それをただ目指せばよい。同じ言語の内でしか…