幻想文学について

 真の意味での幻想文学とは、書き手が幻想的なものを書こうという意識がなかった時に生まれる。最初からある種の幻想的な主題の下に書かれたものは、好事家の仕事であって、むしろ除けられるべきものである。徹底して事象を追求した果てに、出現する奇怪な世界こそが本当の幻想文学なのであって、その意味では、文学の王道と何ら差がない。
 書き手と女がゆめのように交感する、室生犀星の「はるあわれ」にうつる揺るぎないリアリティは、正しく、美しい。目の前の女が、突如として、過去の忘れがたき女性そのものになる泉鏡花の幻想性は、他のリアリズムを圧倒する確かさを備える。中野重治は犀星に敬意を払い、志賀直哉は鏡花を好んだ。このことはより深く考えられて良い。現実世界を追求した果てにある、妖しい陥穽こそが文学であり、芸術なのである。