文学への覚書

 文学者にとって、言葉はつねに具象である。それは一度きりの、ある時のある場、そこにおける、ただひとつのある物を示すものである。しかし言葉はつねに、抽象性への堕落に脅かされる。言葉を記号と居直ることほど文学者にとって呪わしいことはない。ともすれば抽象のうちに流れ出てゆく言葉を、抜き差しならない力によって唯一のものにとどめおかねばらない。
 文学とは、ある思想を言うとき、つねに具象を要求するあり方である。ある思想は、例えば、ある土地の夏の夕暮れの水音を求める。熱を残した暗い水紋にうつる人の顔だちを求める。思想がつねに、そのような具象とともにあるのが文学である。

 抽象性から逃れるために、つねに具象の水準にあるために、文学者は「実感」を信ずる。蒙昧な実感を礼賛するのではない。抽象から逃れるためには抽象を知らねばならない。抽象に成る前の、なまの具象に立会い、そこから固有の抽象を目指すのである。

 実感とは固有の生活、固有の生である。文学者は、自然に考えれば全体的な人間の、個々人の固有性をあえて信ずる。そして固有性を突きつめた果てに、他者の生に至る瞬間があると信ずる。それはやはり不思議な瞬間であるが、非凡なことではない。自らの唯一つの実感によってつかんだ唯一つの具象、それが他者にとってまた唯一つの夕暮れの時間であるような実感、それを生じさせることが文学である。