Ios 移転

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文学への覚書

文学者にとって、言葉はつねに具象である。それは一度きりの、ある時のある場、そこにおける、ただひとつのある物を示すものである。しかし言葉はつねに、抽象性への堕落に脅かされる。言葉を記号と居直ることほど文学者にとって呪わしいことはない。ともす…

薄明へ   イェイツ「葦間の風」より翻案

薄明へ 朽ち果てし時代の 朽ち果てし心よ 正邪の網を断ち切りて来たれ も一度笑え、心よ ほの白き薄明のうちに も一度嘆け、心よ 暁の雫のうちに さがなき言葉の火に焼かれ 希望は崩れ、愛は潰えども 汝が母エールの地はかわらず若く 雫は光り薄明はほの白い…

女性的な知

時に抑圧は、身体性を礼賛することから始まる。日本において女性性の可能性が問われる時、それが一度として身体性と無縁に説かれたことはない。男女の間に身体的な差異はあり、終局的にはその差異が大きな可能性を生む。しかし少なくとも日本においては、身…

新しい文学に向けての断章 九 言語表現の批判力

既存の言語表現を批判するというのは、既存の言語をただくずしてみせることではない。くずすことによって批判を喚起した、と言うのは極めて浅薄な思考であり、書き手の怠慢でしかない。批判とは、全く別種の、強力な言語表現の体系の存在をひらいてみせるこ…

新しい文学に向けての断章 八 女性的なもの

女性的なもの、というのは、ひとつには、歴史的に屹立した男性的なものの余剰としてぼんやりと、しかしゆたかにあふれているものであって、必ずしも身体が女性の人にそなわっているわけではない。身体が女性であることに、微妙にかさなりあっている、という…

秋日 わたくしのあの向う 影のように無数の女が過ぎゆき ほの青い匂いを残す さらさらと流るる銀光 去来する淡く光る時間 つと来ては去り つと来ては止む (やわらかな久遠。やわらかな久遠。) 明滅する女。螢。 すすきの穂が火となり 菫青の空をあかるくす…

新しい文学に向けての断章 七  かの「私」/私の知らない私

「私」のうちには、「私」の決して知り得ない「私」がいる。それはただいることがわかるだけであって、何ものであるかわからない。かの「私」は決して同定できず、永遠に同一性として立ち上げることはできない。そしてまた、かの「私」は共同的なものではな…

幻想文学について

真の意味での幻想文学とは、書き手が幻想的なものを書こうという意識がなかった時に生まれる。最初からある種の幻想的な主題の下に書かれたものは、好事家の仕事であって、むしろ除けられるべきものである。徹底して事象を追求した果てに、出現する奇怪な世…

ナショナリズムとジョイス

国家は父性的なものであるが、ナショナルなものとは母性的なものである。それは最後の局面で、対決を許さない。ある種の懐かしさと愛情を湛え、人々をとらえる。精神の底で、否定しがたい何かとして働くのである。それゆえ、その超克は非常に困難になる。 ジ…

北原白秋

詩がうたとして、音が音を呼び、憂愁の意味はなく、しかしある種の美的な確かさをもって続いてゆく。表現が表現だけの願いで、続く言葉を選ぶ。歌われるのは息苦しくふさがった内面ではない。ただ歌が歌われる。身体の動きに似ている。哀歓は音のうちにあか…

島崎藤村

島崎藤村の酷薄な筆致がなければ、日本の私小説が特殊な力を得ることは無かった。それは藤村の冷厳に過ぎるまなざしであって、私小説の理論にはない。 「夜明け前」の終章、発狂して座敷牢で死ぬ父を描く彼の筆致に叙情の痕は微塵も無く、父への追憶など生や…

新しい文学に向けての断章 六 文字の存在

物がそこにあるということから生まれる迫力というのがあって、不意に振り返ると、空間の片隅の暗がりに、かの物が、厳然と動かしがたく、ひとつの形を占めている。目を持たぬ物の呼吸は、また次第に、隔てられているはずの私のからだにも侵食してくる。暗い…

新しい文学に向けての断章五 激情

今日、ほぼすべての激情は、甘い感傷に落ちていく。激しさは抑圧された悲しい顔立ちを背後に宿し、むしろその涙ぐむ顔を見よと叫ぶ。そこにいるのは激しさとおよそかけはなれた小人物である。悲しい小人物であるがゆえに、激情を許せと乞う。そのような激情…

新しい文学に向けての断章四 孤絶

共同体への意志が叫ばれる。それに抗するため連帯が説かれる。一人の時間は、何処にも告げられていない。 如何にあがいても、孤絶して生きることは出来ない。否応なく侵食されて生きる。関係を断とうと願っても、断たれることはない。だからこそ、孤絶したも…

雑記

素朴に、外国文学を読む機会を得ている。 私のものではない言語。日本語もおそらく、私のものではないが。しかしまた、見知らぬ言語でもやはり、書き手が言葉にかけた力は感ずる。そのような力を感じさせること、それをただ目指せばよい。同じ言語の内でしか…

新しい文学に向けての断章三 円環の時間

何かの先に向かって押し流されてゆく時間の中で、まるで異質に、とどまる時間というものがある。静かに、そっと繰り返される、円環にも似た時間。変わってゆく外界の中で、変わらない生の形。その時間は、ただ一人のものであって、誰かと分かちあうものでは…

雑記

構造において捉えなおそうとする欲動が強くなる。強くなりすぎる。言葉が言葉を呼び、音が音を呼ぶ、そんな遊びめいた動きが恋しい。 言葉の裏に意味はなく、言葉のおかしな運動だけがあり。 黄金のゆめは過ぎた まなこは青く *人かげを訪うて永く 雛のうた…

雑記

ある朝窓を開けると、金木犀の匂いがして、ほんとうに秋が来たのだと思った。秋から冬に向かって、ある種の文学は充実してゆく。夜がとぷりと深く長く。見えないものに感覚が研がれる。真っ暗く、凛と透きとおった天。何かの鉱物に似ている。 季節を、大気を…

新しい文学に向けての断章 二 生成の現場・臨界の場にある言葉

小説の文学史においては、身の置き所を与えられてない犀星だが、詩の文学史においては、近代詩、すなわち口語自由詩の最初の人として、重要な位置を占めている。このことは、彼の散文を問う際、もっと深刻に考えられてよい。 きょうもさみしくとんぼ釣り ひ…

あるシンポジウムでの発言

先月、ある市民向けのシンポジウムで話す機会があった。 純粋に芸術としての「文学」に向かう姿勢とは違う。しかし、根底に流れる立場は基本的に変わらない。 大学で、「文学」とはある意味逆の志向を持つ「研究」を平行して行っている。時折矛盾を抱える。…

新しい文学に向けての断章 一

vir_actuelさんが優れたことを書いている。 私も、拙いながら、あえてこの時代に、文学という領野に心惹かれた理由を再考してみたいと思う。 教養は足りず、論理は貧しい。けれど、闇雲に、力ない感性をふるうのも、またかなしい。 室生犀星が自身の文学的経…

金沢

室生犀星について書こうとした時、金沢へ行く機会を得た。犀星の故郷である。金沢は、犀星のみならず、泉鏡花、徳田秋声、中野重治ら、多くの文学者を生んだ地であって、かねてから行きたいと願っていた。 好きな作家の文学世界に思いを馳せながら、その生地…

室生犀星 一

好きな小説家を問われれば、誰よりもさきに、室生犀星をあげる。私にとって、大変大切な存在である。文学というものの、底知れぬ世界を初めて見せてくれた作家と言ってよい。十年ほど前に知ってから、いまに至るまで、ずっと深い存在感をはなっている。さま…

帰郷・北海道

帰郷 故郷について何か述べることが、少しためらわれるようになった。なにについて述べても、人とのあいだに、故郷というものを厳しく立てるようで、どこか恐い。けれど、何か書いてみたいとは思う。まとまりのある言葉を与えてみたいと思う。 おそらく、い…