北原白秋

 詩がうたとして、音が音を呼び、憂愁の意味はなく、しかしある種の美的な確かさをもって続いてゆく。表現が表現だけの願いで、続く言葉を選ぶ。歌われるのは息苦しくふさがった内面ではない。ただ歌が歌われる。身体の動きに似ている。哀歓は音のうちにあかるい。詩が声に歌われるかも知れなかった時代の、鮮やかな洗練をそこに見る。



沈丁花


からりはたはた織る機(はた)
佛蘭西機ふらんすばた)か、高機(たかはた)か、
ふつととだえたその窓に
守宮(やもり)吸ひつき、日は赤し、
明り障子の沈丁花


             北原白秋 『思い出 叙情小曲集』