新しい文学に向けての断章 一

 vir_actuelさんが優れたことを書いている。
 私も、拙いながら、あえてこの時代に、文学という領野に心惹かれた理由を再考してみたいと思う。
 教養は足りず、論理は貧しい。けれど、闇雲に、力ない感性をふるうのも、またかなしい。

 室生犀星が自身の文学的経験の原点、とさきに書いたが、犀星の小説がひらいたのは、かつてない臨場感であった。犀星が夕暮れ時の庭に立つ、その場を描いた部分に、慄然とするほどのリアリティを覚えた。それはひどく異様なものだった。的確に描写したのとも違う。写真や映像といった、視覚的な鮮やかさとも違う。空間がそこにあった。ある場所に踏み込んだ時に感じられる、自分の身体全体の反応。文学の、言語表現の秘密というものを、垣間見た気がした。
 
 ただ、作品に没入していたためだろうか。文学に没入するとは何だろう。何が起こっているのだろう。絵(色)や音と同じような質で、文字が直接的に身体的な刺激を与えている、とは恐らく言えない。しかし、たしかに身体的な感覚を強力におぼえた。それが、全体的な感覚なのが、驚かれた。
 
 犀星が描いたものを想起しているのとは違う。私が犀星の見たものを再現しているのとも違う。もっと一瞬の感覚。想起しているとかしていないとか、そんなことがとても考えられないような、瞬きの時間。自分のからだが、庭に踏み込んだときの最初の感覚。第一次的な感覚。冷えた大気にふれ、ひかりの色をおぼえ、かそけきものの音を聞く。……こう綴ってはもう遅く、もっと一瞬にそれは訪れるのだが。犀星の文章には、たしかにその感覚が成就されている。浅慮な発言を恐れず書くが、言葉が世界を分け、世界のあり方を生成するのであれば、言語表現のうちにこそ、何より速い感覚が宿るのではないか、と思う。身体的刺激よりも速い身体的反応。

 ……このような発想は、言語表現に至上の価値を与えるようで、良くはない。けれど、この時代、文学というものに惹かれるのであれば、それ相応の理由を自分で見出さねばならない。

 高校まで、絵を描くことがいちばん好きだった。犀星を読みはじめた頃、絵から離れた。絵が上手くなかったのが何よりの理由だと思う。絵について何か深く見極められるほど、才がなかったのだとも思う。けれど、犀星を読んで、絵にはない何かを文学に感じたのもほんとうであった。それは何か、十年が経とうとしている今、まだつかめてはいない。



 庭では寒椿の花の盛りが過ぎ、ひよどり、笹鳴の声も例年にくらべて、毎日のようにちがった種類が渡っていた。しかしまだ侘助の花はひらかず一どころ菊のあかりを見せた庭は、反り返った胸を見せるような初冬の緊めあがった姿を、毎日甚吉に見せてくれた。在るところのものは在りどころに定まった美しさは、庭全体の釣合を深くし、互に均整を張り合っていて、緩みがないほど響を持っているようだった。なにか網を張ってあるようで或る時刻には甚吉ですら庭に出ることを控えるくらいの、まとまり方であった。能衣裳を見るような斜陽の時刻は絢爛すぎるが、併し、これ以上の庭の華やかさは朝にも夕方にも見られなかった。矢形に夕陽の縞の走ったところ、それが掠めて敲いてすぎたところ、凡て黄金ののべがねがさし貫いていた。そしてそれらは須臾にして過ぎ去った。それと殆どすれすれにやって来る鬱然たる大夕暮のすみやかな落下は、たちまちに灰汁を掻き交ぜたように四方の隅々から急速なひろがりを見せ、そして息つぐ間もなくぴったりと蓋をするように、はや凡てを夜の世界にして了った。その間は四季を通じてもっとも大夕暮らしい風貌をもっていた。その勢いの巨大さはすぐあたりを完全な夜の中に突き落としてしまうようであった。たとえば甚吉はそういう大夕暮が迫るような時刻に、いつも好んで書きものの綴りをしているのが、全く一枚くらい書いていて眼を庭に向けると、まるで世界がちがうほど暗い濁ったような闇がひろがっているのであった。その微妙にも急速な時刻の推移に慌てて障子を排して、庭の中に出て見ると、凡て整然たる夜の領域が無言のまま甚吉の胸のあたりにせめぐように、城のようなものを築いていた。気短かで気の早い奴、そして一どきに怒るような夕暮の溶け失うた姿はもうどこにも、余すところなく掻き消えていた。ふしぎに甚吉はこういう日暮をおうような、或る忘れものが感じられてならなかった。口もとにまで出ていて云い表わせないような言葉の窮屈さと、忘れはてた感じとをもう一度さぐる時のように、彼は何か云いかけたいものを感じた。
                              

室生犀星「虫寺抄」