室生犀星 一
好きな小説家を問われれば、誰よりもさきに、室生犀星をあげる。私にとって、大変大切な存在である。文学というものの、底知れぬ世界を初めて見せてくれた作家と言ってよい。十年ほど前に知ってから、いまに至るまで、ずっと深い存在感をはなっている。さまざまな問いをめぐらしても、最後はやはり犀星の作品に立ち戻ってゆく。自身の文学的経験の契機であったがゆえ、思い入れがあるのかとも思う。しかし十年たってなお、その文学について、自分なりにたしかな言葉を与えることができない。かつてよりもいっそう、日々の中に、ぼうっとあやしく屹立している。いまは、ひとつの形ある論として書くことはとてもできない。しかし、少しずつ、思うところを述べていきたい。
犀星は詩人でもあるが、小説にその文学的本質が発揮されていると思う。犀星は同時代の文学者と比べ、知的に恵まれた環境では育たなかったためか、文学的教養ではなく、「野生」的な直感のままに書く特異な作家、という評価が多い。しかしその「野生」という評価は、犀星文学に対して、何ら明晰な批評を加えるものではない。批評家が捌く論理を失い、深い洞察を諦めているような気がする。
「野生」、という神秘的な言葉で呼びならわされた犀星文学の特異性の第一は、その豊穣な言語感覚にある。読む者は、その異様でかつリアルな迫力のある言語表現に驚く。詩においても彼の言語感覚は遺憾なく発揮されているが、小説、散文という、長さと複雑な構造を持ったスタイルにおいて、はじめて豊穣さの全貌があらわれている。詩よりも散文の方が言語表現が十全に生きている、と感じさせる文学者はそういない。同時代の散文のなかで、あまりに異色であったため、大正〜昭和の文学史の流れを論じる文脈では括弧入れされてしまうが、そこには、散文というジャンルの重要な可能性が秘められていると見るべきであろう。
個人的に犀星の小説で、代表的と思われるものを三つ挙げてみたい。
一、 「かげろうの日記遺文」(昭和三十四年、講談社文芸文庫『かげろうの日記遺文』所収)
二、 「虫寺抄」(昭和十三年、講談社文芸文庫『あにいもうと・詩人の別れ』所収)
古典的な作品が絶版されてゆくなか、文庫で入手できるのは、現在でも犀星を好む人が沢山いるためだと思う。犀星は男性作家だか、その主題やまなざしから、女性に好まれている観もある。この三作品以外にも魅力的なものが多くあり、また年月が経つと異なるものを選ぶかもしれない。稿を改めて、それぞれの作品について、私なりに触れてみたい。
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