帰郷・北海道

   帰郷

 故郷について何か述べることが、少しためらわれるようになった。なにについて述べても、人とのあいだに、故郷というものを厳しく立てるようで、どこか恐い。けれど、何か書いてみたいとは思う。まとまりのある言葉を与えてみたいと思う。


 おそらく、いま、故郷と自分とのあいだに、かすかなすきまが生まれつつある。心がはなれた、というより、体がはなれた、という感じがする。帰省のひと時、故郷の大気を、体が懐かしがってなぞる。体に何か、今までにない感性がひらかれているのがわかる。故郷の気配を静かに、深くさぐろうとする体。かつてにはなかった。目にふれる、冷えた青い大気を、遠く追う。旅先の地をよろこぶのに似ている。懐かしめるのは、自らのものではないから。そんな素朴な発見が、すっと身に沁みて感じられる時がある。二十六歳になって行きあたるのは、おそらく遅い。


 北海道には、年に数回、京都から帰る。最後の文学的な土地、と人は言う。たしかに文学はよく生まれた。近代によって生まれたこの世界は、近代文学とわかちがたく結びついている。北の境界であり、移民の土地。貧しい人々は、先住の人々を追いやりながら、わずかな生を得てきた。近代の生の暗がり。故国と異国のさかい目。そのような意味づけはよく耳にする。あるいは、歴史とともに因習を断ち切った、新しい社会と言うだろうか。

 そんな言葉を背に、北海道に降り立てば、ただ、澄んだ青い時間が広がっている。冷えてたゆたう、見知らぬ時間の流れ。ちらちらと、ほのかな花が、夕闇の大気にゆれる。夏の北海道は、いちめん、花が咲いている。今まで気がつかなかった。樹々の花ではない。野の花が、ちらちらちらちらと、無数に。遠く、十勝の山脈までのびる林の下に、小さな花々が、星を蒔いたように散っている。すうっと甘い、野の花の香が、冷えた空気に満ちる。

 自然がある、と人は言うだろうか。けれど、ほんとうは、人々の生活のすきまに自然があるのではない。自然のすきまに人々の生活がある。ここでは、人々の生は、とてもわずか。野の花々は、人の生をまるでかえりみず、すずなりのつぼみをふくらまし、咲く。

 人家の少ない道東や道北には、原生花園と呼ばれる野の世界がある。樹々さえ生えない厳寒の地で、野草がどこまでも大地を覆い、短い夏のあいだに、小さな花を無数につける。美しいが、人とゆかりはない。花たちは静かに、野の時間を過ごしている。北の果て、と淋しがることができるのは、まだ人の跡があるから。


 この地で、自然を壊すことはできる。たしかに百年、人々は山を裂いて道をつけてきた。けれど、一時、打ち勝ったに過ぎない。この地の人々はそれをよく知っている。この先、多くの人々が移り住むことはないことを、知っている。沢山の人々が好む地ではない。明治の初め、切り拓かれた原野の道は、行き交う人も途絶え、ふたたび野でおおわれている。そうして夏には、人知れず白い花が咲く。

 人間の自意識が、ひっそりとしか生存できない世界だからこそ、文学が生まれる。そんな思いを強くする。






    (覚書)


   私のからだのうえを根が走り
   指さきから細い茎がはねて生え
   まぶたいちめん、白い粒子のようなつぼみ
   しずくがつめたく野の深奥に落ち
   星の群生が鋭く天にあがる


   虫の声も途絶え
   人家は遠い平野の底
   湧水は青く裂けた木肌ににじみゆく
   帰るべき地か
   帰らざるべき地か知らず
   ねむるからだは
   原生の林に朽ちてゆく


   やがて
   夜明けの紫色の時間
   イタドリの香気が燃え
   北きつねが胸のうえをあるいていく










  農家の美意識


 夏の北海道は野の花がいたるところに咲いている。しかしまた、野の花だけでなく、農家の人が庭先や、畑の脇に沢山の花を植えているのも目にする。八月頃には、濃いオレンジ色や赤紫の、ふさりとした花が、家の前に咲いている。年齢が上の人は、盆花(ぼんばな)と呼ぶ。墓参りに添えるためだという。ほかの花にも、その呼び名がついているかも知れない。かの花の、正しい名はわからない。けれど、その呼び名がほんとうの名なのだろう。人々との関係のあり方で、名が決まる。


 盆花はひどく鮮やかで、盆の色とりどりの供物と並べると、不思議な華やかさが生まれる。本州であったら好まれない花だと思う。色がきつすぎると言うだろう。しかし、畑地の果て、そのまま空知平野に続いていくような、素朴な墓地の中では、その濃い鮮やかさが美しい。


 本州、特に西日本とは、空のひかりの色が異なるからだろうか。西日本の青空のひかりは、緑色をふくんでいる。北の青空は、少し紫をはらんで、藍色に近い。ひかりの色は、すべてのもののうえに落ちている。すっと冷えた青色は、鮮烈な色を静かに浮き立たせる。西日本では、曇りのある色が美しく映えるが、この地では暗く沈んでしまう。


 その感覚は、家々、建築にも自然と生かされている。北海道では、ぺっとりと、白いペンキで塗った家がよく見られる。真っ赤な屋根、真っ青な屋根もよく見られる。京都などでは、とても塗ることのかなわない、あまりに率直な色だが、この地の青いひかりには、よく映える。冬の風景の中で、それが明るさをもたらすのだとも言う。この地の建築家は、そのような人々の好みをよく知っているのだろうか。


 好みと言ったが、それは美意識にほかならない。赤や青のペンキは、雪のつもるトタン屋根を保持するのに、いちばん良い色だから、とも聞く。けれど、どこか無意識的に、風景に映える色がえらばれているように感じる。そこに美意識がちゃんとはたらいている。


 空知平野から富良野盆地にかけては、北海道のなかでも肥沃で、豊かな農家が多いところである。富良野や美瑛の丘陵に広がる畑地や農家の風景は、美しいと評判を呼んでいる。なだらかな丘に沿う畝、丘の上に一本だけのこされた樹、一列にならぶ防風林の影、あるいは煉瓦のサイロ、牧草地。それが何のてらいもない、農家の営みの中で偶然に生み出されたものと、訪れた人は驚く。


 その美しさは、たしかに、恣意的に生み出されたものではない。しかし、やはり、農家の人間の意志がゆきとどいていないとも言えない。畝の流れ、樹の残し方、そのあいだに建つ、小さな母屋の色。一つひとつの選択のうちに、望ましいあり方が求められているように思う。美意識という言葉でとらえないだけであって。


 農家の庭先の花は、売るために植えられているのではない。農家の人々の目の楽しみなのだと言う。貧しい時代には、農家の女性のただひとつの慰めであったとも言う。売り物ではない作物としての花。厳しい時代に、わずかな癒しを求めた目は、色彩の美意識に鋭敏なのだろう。あるいは、うつろいゆく空や、畑地の微細な変化を見さだめる目は、やはり土地の色や形に鋭敏になる。自らが作るものの配置も、無意識的に風景との均整をもとめる。過酷な環境のなかで、広がった美意識に、この地に住む人々はたしかな力を得てきたように思える。


 感性はさまざまなところで育つ。陰翳礼賛のような美意識とは異なる世界がある。北の地の美意識の育ち方を、私はまた好む。




    (覚書)



   鮮烈なあかい花を
   墓に添えよ
   百年前の
   育たなかった
   死児の墓に


   あの頃も
   空は真っ青で
   空知川をゆらし
   吹き抜ける風


   防風林の影で
   線香は青じろくくゆり
   誰が育てたか
   盆花はあかい