新しい文学に向けての断章 八 女性的なもの

 女性的なもの、というのは、ひとつには、歴史的に屹立した男性的なものの余剰としてぼんやりと、しかしゆたかにあふれているものであって、必ずしも身体が女性の人にそなわっているわけではない。身体が女性であることに、微妙にかさなりあっている、という方が正確である。それゆえ、女性の身体をもちあわせている人は、気がつく契機を多く得ているとは言えるが、だからといって女性的なものに真にふれているとはかぎらない。ほとんどの女性は、女性とは何か知らない。価値ある「女」とは、女の未だ知らない女である。室生犀星がすぐれているのは、その意味での女性性を文学で体現しているからである。

 そうしてこれら見知らぬ、しかし意味ある「女」たちは、死者ではない。主観のうちに美的に定立されることを絶えず拒む、生きた存在である。それはある種の男性的な論理からは把握できないがゆえ、生きた霊のようなものとなる。フェミニズムは本来、その地点から問い直されるべきであろう。